ただの日記にタイトルなんて要るか

🍳が不定期で日記を書くらしい

05 Dec 2023

変わったもの、そうじゃないもの

音ゲー ダンアラ
2314文字

ダンアラの交流会に参加してきました。

そういや、そもそもこの日記でダンアラの名前出すのは初めて。WACCA全盛期の頃から更新頻度が減ってしまって何も書けていない。ダンスゲームの面白さって上手く文字にするのが難しくてなかなかまとまった文章にできない、というのも大きいかしら。

ACゲームの交流会に参加するのは、かのスポランでのWACCA Final Festivalぶり。2022年8月21日から1年強が経っている1。機種も顔ぶれも全く違うのでどうなるかと思っていたけれど、結局交流会は交流会だった。とても良い意味でね。


ダンスゲームって、一般的な音ゲーと違って数値的なわかりやすさが小さい。ストイックに高スコアを目指す音ゲーであれば、その上手さは数値として可視化されて、観客にも明確な緊張感や高揚感をもたらしてくれる。ダンスゲームになると、そのわかりやすさは欠けてしまう。ダンスの上手さはいろんな要素に分散されて、単なる1次元のスコアには落とし込めないから。

だけどその分、リザルトの写真には載らないその人ならではの上手さがある。同じ振付に対してどう動くのか。与えられたものを元に、どう表現するのか。その振りをどれだけ練習してきたかだけじゃなくて、その人が今までどういう踊りをしてきたのか、どんな風に自分の身体を動かしてきたのか、っていう時間の積み重ねがその人ならではの動き(の上手さ)を形成している。

交流会って、こういうその人ならではを間近で見ることができてすっごく楽しい。音ゲーと対比するように書いてしまったけれど、実はWACCAも譜面に対してどう運指を組むかってところにダンスゲームと似た要素があって、見ていてとても面白かったんだよね。上側のノーツを取るために、敢えて身体を大きく動かす人。胴の動きは最小限に、肘から先で落ち着いてノーツを捌いていく人。各々が自分の身体の動きをどう最適化してきたのかってところに、その人の遍歴が垣間見えて、とても興味深かった。今回のダンアラ交流会でも、この面白さを存分に味わえて良かったです。


似ているところと言えば。トーナメント決勝戦、チルノリミ中にみんながやってたバーカバーカコール。あれ、あまりにもえんしぇんとふぁいやだなって思った。ある空間の中でコールすべき箇所が共有されていて、それが揃う一体感。あの8月21日を思い起こすと同時に、コロナ禍によって成しえなかった未来に思いを馳せていた。WACCAはマスク無しでは遊べなかったんですよね、少なくとも私は……。

回り回って今はダンアラに行き着いて、初めましての人ばっかりだったし2、ゲームの内容も全然違うけど。時間が経って、いろんな要素が変わりながら、それでもまた似た場に立ち会うんだなと思うと、人生って面白いなって。えっゲームごときに人生って言いすぎ!? ハハハ


せっかくなので、WACCAとダンアラは違うなって思った要素も書いてみる。

交流会前、とある集団からこんな会話が聞こえてきた。「お久しぶりです」……「6年前の〜以来でしたっけ」……わお。6年。話は飛ぶが、私がAC音ゲー目当てにゲーセンに通い始めたのは2016年夏からで、実はダンエボ全盛期には立ち会っていない。6年前となると、ゲーセンに行きはしていたがまだ制服を着るような身分で、東京にも出てなかったし、懐事情故にスマホ音ゲーがメインだった頃だ。その頃から交流会や催し事に参加していた方となると、低めに見積もっても3,4年、多ければ一回りは年の差があるだろう。

そう。ダンアラには、ダンエボによる積み重ねがある。同じ振付をそれこそ一回り前から踊っていて、当時から精力的にイベントに参加してきた人達。彼らからしてみれば、今回の交流会は、私なんかは比べものならないくらい待ち望んだ、感慨深いものだったんだろう。あの盛り上がりも頷ける。

個人的に驚いたのは、その差をあんまり認知できなかったこと。頭で考えれば世代差が生まれがちなのはわかるんだけど、交流会の場でそれに思い至ることがなかったというか……簡単に言うと、みんな若いなって思った。なんとなく、自分と似た境遇の人が参加しているだろうという先入観があったけど、実情としては全然そんなことなくて、でもみんな同じように盛り上がっていた。

世代間で分け隔てなく交流できて遊べると思うと、もしかしなくてもダンスゲームってめっちゃいい趣味なんじゃないでしょうか。音ゲーだと、当時流行っていたものを遊ぶという流れの結果、世代間で機種の差が生まれがちなので……。あと、年をとっても同じもので遊べるっていうのがすごい。振付にはサ終がないから。


私の遍歴から交流会というものを見ると、やはり未来を案ずる形になってしまう。4人同時の朧はあと何度見れるのか。踊れる人を4人集めるのは難しくないけど、筐体を4台並べるのは、その環境を保つのは簡単じゃない……。当時WACCAが8台並んでいた横ラで交流会ができたなら、という無かった未来を考える。

時の流れは止められない。いつかは私だって別の機種を遊んでいるだろう。もしくは、ゲーセンにきっぱり通わなくなっているだろう。それがどういうきっかけかはわからないけれど、今のような私とダンアラとの関係には、きっと必ず終わりが来る。それまでの間に、どんな形であれ、少しでも良い未来がありますように。


  1. 逆に1年強だけとも言えるかも。 ↩︎

  2. 交流会以前から面識のある人はいたけれど、私と同じようにWACCAからダンアラに行き着いている人はほとんどいない、の意味で。 ↩︎